Kindle小説『ロリコン探偵仁とニック』
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トトロ二次創作小説
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カテゴリ: 評論

読者諸兄はうんこを描けと言われたらどのような絵を描くであろうか。
恐らくは下図のような描画をするに違いない。


うんこ

いわゆる巻きグソである。
段数に個人差はあれど、恐らく日本人の大半はうんこと言えばこれを描くのではないだろうか。
多分に漫画的表現であり、漫画大国日本ならではの現象であると言える。
こちらを参照する限り、日本の漫画を知らない外国人にはこれがうんこだという思想はないようである。

しかし実際にはこのようなソフトクリームのような見事な巻きグソは有り得ない。
現実で見たことがあるという者は皆無であろう。
しかしながら人びとはこれをうんこだとして受け入れているのである。

ではこの漫画における巻きグソの表現はどこから出たのであろう。
いくら漫画とは言えクソを巻くという発想はファンキーすぎる。

そこで小生が思ったのは、実はこれは巻きグソではないのではないだろうか。
まず、下図のような糞が出る。

うんこ1

そして次に二段目が出る。

unko2
このようにして鏡餅のように平たいうんこが重なっていったのではないだろうか。
とすればうんこを生命の誕生とみなし、鏡餅はそのうんこを模することで子孫繁栄、子宝を願う意味合いがあったという可能性も出てくる。

うんこをすればするほど体内のうんこ残量も減っていくため出てくるうんこも次第に小さいものとなるので、つじつまは合う。


unko3
こうして三段も重なれば巻きグソのようになるではないか。
小生にはこの「積み上げ式」の方が現実的に思える。

ちなみに海外にも巻きグソが描かれた例がある。
300~400年ほど前のフランスの版画だそうである。

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しかしこれも巻いているというよりは「積み上げ式」として考えた方が自然ではないだろうか。

小生はうんこの専門家ではないのであくまで素人の推論にしか過ぎない。
どなたか識者の教授を願いたいものである。









うんこ絵描画にはCLIP STUDIO PAINT PROの水ペンブラシを使用しました。
これなかなかいいですね。


過日、なんとも悪趣味なテレビ番組を目にした。小生自身はテレビを観ないのだが、夕食時に家族と食卓を囲む際に強制的に見せられることになるのである。

その番組では日本の寿司職人や蕎麦職人などが身分を隠し、アフリカの(国名は失念)寿司や蕎麦を供する飲食店へ「修行」をしに行くというものであった。
当該店での寿司のつくりかたはなんとも個性的で、日本人から見たら寿司であるとは首肯出来かねる代物で、まったくの別物と言っても過言ではないものであった。
それを面白おかしくナレーションで煽り立て、 現地の寿司職人をこき下ろし、笑いものにしているのである。
小生は日本人というものは斯くも醜いものであったかと愕然とした。

日本人自身、世界各国の料理はもちろんのことあらゆる文化を日本化し、土着化し、変形(どうかhengyouと発音してください)させて取り入れてきたのである。今小生が書き読者諸兄が読んでいるこの漢字かな混じりの文章が既にその例である。
そういったものには本場の国の者が見たら卒倒するような代物もあるに違いない。自国の食文化に誇りを持っていることで有名なイタリア人から見たら日本独自のナポリタンなるものはひどく珍奇に映ることであろう。インドにカレーを米にかける風習などないし、エビチリは四川料理をもとに陳建民が日本人向けにアレンジしたものである。

己は世界中の食文化を変形し日本化しているのに、日本食を現地人向けにアレンジするのは許さないのだという。
アメリカのグローバリズムとなにが違うというのだ。
アメリカのそれは政治経済での面が主だが、こっちは文化の面で「民」がやっているのだからなおさらたちが悪い。

国や地域が違えば食の好みが違うのも当然。だからこそ日本人は外国の食物を日本風にしてきたのではないか。それと同じことをアフリカ人が行うのも当然であろう。アフリカ人の口に合うように変容させるのを許さぬとはなんという原理主義者か。これでは形を変えたISISである。

イタリア人やインド人が日本独自に変わった母国料理を見てケチをつけるであろうか。内心では小馬鹿にはしているかも知れぬが、わざわざ地球の裏側にまで行ってテレビに映して笑いものにするような悪趣味なことはしないだろう。実際イタリア人のナポリタンに対する反応は極めて理解力のあるものである。

現地の事情や好みなど鑑みることなく、日本食はこうでなくてはならないと押しつける。そんなものは日本文化を広めたとは言わない。文化がコピーされたみたいに伝わることなどないのは文化人類学や民俗学に少しでも触れたことがある者なら周知の事実だろう。古代支那の笙という楽器がユーラシア大陸の西端に伝わってパイプオルガンとなったのだ。少しずつ変容し、グラデーションのようにして伝わり広まるのである。

日本文化はそんな偏狭で原理主義じみたものではないと信ずる。多様性を許容し、他者を認める寛容こそが日本文化だと思いたい。

日本文化がアレンジされて世界を席巻した例にブラジリアン柔術がある。
ブラジルは元々日系人が多いせいか柔道が盛んであったが、木村政彦とエリオ・グレイシーがブラジルで柔道の試合をし、死闘の結果木村が腕がらみ(アームロック。ブラジルでは「キムラロック」「キムラ」と呼ばれることも)で勝利した。
これを機にエリオは寝技を徹底研究し、柔道とは異なるグレイシー柔術を大成し、これがのちのブラジリアン柔術となる。投げを重視する柔道と違い、ブラジリアン柔術は寝技で決着がつく。技を決めて相手にギブアップさせて一本とるか点数による判定であるが、これが総合格闘技の礎となり、世界中の軍隊で採用され、ロシアではサンボという競技の元となった。まさに日本の柔道がブラジルでアレンジされて世界のスタンダートとなったのである。

寿司も蕎麦も現地にあった変容を遂げて良い。
文化はスタイルではなく魂である。


 

去る2016年4月~6月にかけてノイタミナで放送されていたアニメ「甲鉄城のカバネリ」。
人物の顔の影が二種類使われているとか、キャラの「メイクアップ」専門のスタッフがいたとか特筆すべき点はいくらもあるが、その辺は他所でも散々口の端に上っているのでそこは敢えて触れない。

小生はこの作品を現代の緊迫した世界情勢と重ね合わせて見ていた。

カバネ=テロリスト
人間=キリスト教徒の欧米人

というような図式に見えたのである。ではそのどちらでもないカバネリはというと、これは一般イスラム教徒なのだ。
キリスト教徒ではない。かといってテロとも無関係の善良なイスラム教徒。
作品のOPでの「貴様は人か、カバネリか!?」という 問いに対し生駒は「どちらでもない、俺はカバネリだ!」と言い放つ。
「貴様はキリスト教徒か、テロリストか!?」という問いに対して「どちらでもない、俺はイスラム教徒だ!」と言っているように見えて小生は一抹の希望を見た気がした。これだけテロが頻発している欧米において、「イスラム教徒だ」と胸を張って言っていいのだと。

作品冒頭では「武士」たちによる横暴とも言えるカバネ対策が描かれる。少しでもカバネに噛まれた可能性のある者を排除するのはまあ当然かもしれないが、それが高じてまったく無関係な人間まで殺してしまい、しかもそれをまったく恥じることもない。つい生駒も声を上げて抗議する。

これはテロリストを恐れるあまり一般イスラム教徒を殺してしまったということである。

そこにきて生駒や無名といった第三者的立場の「カバネリ」が甲鉄城に現われるわけだが、彼らは人間とともにカバネと闘うことで敵ではなく味方だということを示し、徐々に信頼を置かれるようになる。
現実においても一般イスラム教徒はテロリストをイスラムの敵だとし、イスラムとは無関係だと主張している。

カバネリの食糧問題(人間の血を吸わなければならない問題)も各人が血を提供するというかたち解決にいたる。

わかり合えたのだ。
敵ではないことがわかり、肉体的特徴以外は自分ら人間とかわらないことがわかり、協力し合えることがわかった。
こうして良好な関係を築き上げたかに見えた人間とカバネリであるが、事態は急変する。

美馬様の登場である。
美馬は人工的にカバネリをつくりだし、意のままに操る。無名もアニサマと呼び慕い、美馬のすることは全て正しい状態である。あ、こりゃホストに貢ぐタイプだなと思ってこんな絵を描いてしまった。

無名ホスト2

無名は美馬のまさにテロリズムと言うべき恐ろしい所業に手を貸してしまう。

昨今欧米ではテロのパンデミック状態の様相を呈しているが、直近の事件の特徴はISISなどの集団とはつながりのないイスラム教徒が、彼らの影響を受けて独自に犯行に及んでいるという点である。
これは非常にまずい事態で、一般イスラム教徒もテロリストになるではないかということになる。
美馬に手を貸した無名も「やっぱりカバネだ」ということになってしまう。

この辺りはアニメでは割と投げっぱなし感があって、最終回では当たり前のように無名は甲鉄城の面々に受け入れられて終わる。

とは言え最終回での美馬の台詞
「人間は臆病な生き物だ。怖いから拒絶し、理解できないから攻撃する。人の臆病が戦いを生むのだ」はまさにこの世界情勢を言い表しているし(それだけではなく世代間闘争にも言える)、
菖蒲様の
「銃を向ける相手を間違ってはなりません。打ち抜くべきは互いを疑う心です」が本作品の核であり、世界へのメッセージである。これがなければ菖蒲様は何しに出てきたレベルの無能キャラで終わるところだった。

「異種間の共存」が小生の大きな文学的テーマであるので、本作はそう言った意味でも大いに刺激になった。













いやね、とにかくね、無名がかわいいんだよ。
蹴ってくれるしね。
だけど11話冒頭観てすっかり鰍派になってしまった。

ボンちゃんと畠中のラジオカバネリツアーズも最高に面白かった。 

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