本作は声優ではない一般俳優のキャスト起用やJPOPバンドの主題歌などでごまかしてはいるが、紛れもなくキモオタによるキモオタのための作品である。枝葉末節をここに書き連ねても仕方がないので省くが、視聴されたキモオタ諸兄においてはそれが身に染みてわかったはずだ。スタジオジブリとは無縁のところで育まれた、オタク文化の伝統的様式美がそこかしこに息づいている。
 いわば一般向けの隠れ蓑の下で、まんまと新海監督が「してやった」わけである。それが非オタ層も巻き込み、社会現象となるまでのヒットとなり、海外をも席巻したというのは実に痛快極まりない。
 それは宮崎駿監督が毛嫌いしているものでもある。宮崎監督はオタクやオタクが好むアニメを嫌悪している。今までアニメ界の絶対的権威として君臨してきた宮崎監督に反旗を翻し、本丸に迫るところまで行ったのが本作だ。次回作制作を表明している宮崎監督は燃え盛る本能寺で人間五十年を舞うか、討って出るかを迫られている。
 宮崎監督のデジタル嫌いと言えば異常なほどで、小生はギャングスタなので遠慮無く言うのだが老害としか言えないところがある。とにかくCGやデジタルペイントを蛇蝎の如く忌み嫌っているのだ。
「君の名は。」ではCGやデジタルを駆使し、それ自体に感動を覚えるような映像美をつくりだしてみせた。宮崎監督を思い浮かべながらドヤ顔をしている新海監督が目に浮かぶようである。決して人の手だけではつくりだせない映像である。
 また本作は明らかに「となりのトトロ」を意識したものでもあった。二人の姉妹と老婆、病気がちな母親。田舎。これでトトロを思い出さないのはトトロを見たことがない者であろうというくらいにあからさまであった。トトロではEDで母親の退院を示唆しハッピーエンドで終わるが、本作では母親は死去し、婿養子である父は家を出てしまう。トトロの否定、宮崎監督の否定を端緒にあらわしているようにしか思えないのである。こうなってくるとBGMのピチカートストリングスも久石譲っぽく聞こえてくる。
 従って本作は宮崎監督への挑戦と見て差し支えないのではないだろうか。
 我々は革命の始まりを見たのである。
 震災や原爆などいろいろなものを暗示している要素があったが、本作は一言で言ってしまえば「SNSとオフ会」の寓話である。壮大なるオフ会なのである。
 瀧と三葉は入れ替わりによって互いの存在を知覚し、互いのことを事細かく、おっぱいの揉み心地から陰茎の具合に至るまで知り尽くしているが、終盤に至るまで一度たりとも「会っていない」のである。文字によるコミュニケーションは頻繁に行っているが面と向かって直接会話をしたことはない。これはまるっきりSNSではないか。
 彗星の迫る糸守町での邂逅を「未だ夢の中」なのだとすると、ラストの階段でようやくオフ会を果たしたことになるが、ネット上でのやりとりのおかげで初めて会ってもスムーズに会話が出来るというのはままあることである。あれほどの経験をシェアしたのだから、その存在感たるや現実で関わっている人間以上のものがあるだろう(カップルとしては長続きしなさそうだが)。
 この辺りはキャッチコピーの「まだ会ったことのない君を、探している」にも現われている。やはり「ネット上の知り合いとのオフ会」を暗示したストーリーなのだ。
 と見てみると非常に現代的なテーマ性をはらんでおり、やはり宮崎監督には描けないものだ。

 これはもう、何度も見直したい作品だ。見るほどに新たな発見があるだろう。Googleプレイストアでレンタル購入したのだが本購入してしまった。Nexus7で見ていたのだがHD画質がすごかった。

 このような作品を生み出した人類に乾杯である(禁酒中であるが)。





 ところでJK口噛み酒はいつ発売になりますかね?