去る2016年4月~6月にかけてノイタミナで放送されていたアニメ「甲鉄城のカバネリ」。
人物の顔の影が二種類使われているとか、キャラの「メイクアップ」専門のスタッフがいたとか特筆すべき点はいくらもあるが、その辺は他所でも散々口の端に上っているのでそこは敢えて触れない。

小生はこの作品を現代の緊迫した世界情勢と重ね合わせて見ていた。

カバネ=テロリスト
人間=キリスト教徒の欧米人

というような図式に見えたのである。ではそのどちらでもないカバネリはというと、これは一般イスラム教徒なのだ。
キリスト教徒ではない。かといってテロとも無関係の善良なイスラム教徒。
作品のOPでの「貴様は人か、カバネリか!?」という 問いに対し生駒は「どちらでもない、俺はカバネリだ!」と言い放つ。
「貴様はキリスト教徒か、テロリストか!?」という問いに対して「どちらでもない、俺はイスラム教徒だ!」と言っているように見えて小生は一抹の希望を見た気がした。これだけテロが頻発している欧米において、「イスラム教徒だ」と胸を張って言っていいのだと。

作品冒頭では「武士」たちによる横暴とも言えるカバネ対策が描かれる。少しでもカバネに噛まれた可能性のある者を排除するのはまあ当然かもしれないが、それが高じてまったく無関係な人間まで殺してしまい、しかもそれをまったく恥じることもない。つい生駒も声を上げて抗議する。

これはテロリストを恐れるあまり一般イスラム教徒を殺してしまったということである。

そこにきて生駒や無名といった第三者的立場の「カバネリ」が甲鉄城に現われるわけだが、彼らは人間とともにカバネと闘うことで敵ではなく味方だということを示し、徐々に信頼を置かれるようになる。
現実においても一般イスラム教徒はテロリストをイスラムの敵だとし、イスラムとは無関係だと主張している。

カバネリの食糧問題(人間の血を吸わなければならない問題)も各人が血を提供するというかたち解決にいたる。

わかり合えたのだ。
敵ではないことがわかり、肉体的特徴以外は自分ら人間とかわらないことがわかり、協力し合えることがわかった。
こうして良好な関係を築き上げたかに見えた人間とカバネリであるが、事態は急変する。

美馬様の登場である。
美馬は人工的にカバネリをつくりだし、意のままに操る。無名もアニサマと呼び慕い、美馬のすることは全て正しい状態である。あ、こりゃホストに貢ぐタイプだなと思ってこんな絵を描いてしまった。

無名ホスト2

無名は美馬のまさにテロリズムと言うべき恐ろしい所業に手を貸してしまう。

昨今欧米ではテロのパンデミック状態の様相を呈しているが、直近の事件の特徴はISISなどの集団とはつながりのないイスラム教徒が、彼らの影響を受けて独自に犯行に及んでいるという点である。
これは非常にまずい事態で、一般イスラム教徒もテロリストになるではないかということになる。
美馬に手を貸した無名も「やっぱりカバネだ」ということになってしまう。

この辺りはアニメでは割と投げっぱなし感があって、最終回では当たり前のように無名は甲鉄城の面々に受け入れられて終わる。

とは言え最終回での美馬の台詞
「人間は臆病な生き物だ。怖いから拒絶し、理解できないから攻撃する。人の臆病が戦いを生むのだ」はまさにこの世界情勢を言い表しているし(それだけではなく世代間闘争にも言える)、
菖蒲様の
「銃を向ける相手を間違ってはなりません。打ち抜くべきは互いを疑う心です」が本作品の核であり、世界へのメッセージである。これがなければ菖蒲様は何しに出てきたレベルの無能キャラで終わるところだった。

「異種間の共存」が小生の大きな文学的テーマであるので、本作はそう言った意味でも大いに刺激になった。













いやね、とにかくね、無名がかわいいんだよ。
蹴ってくれるしね。
だけど11話冒頭観てすっかり鰍派になってしまった。

ボンちゃんと畠中のラジオカバネリツアーズも最高に面白かった。